2023年1月22日からデヴィ夫人と共に戦時中のウクライナのキーウへ訪問しに行きました。
日本のウクライナ大使館へは大量の支援物資が集められていましたが、
送料だけで数百万かかってしまうので倉庫に置きっぱなしになっている物が多いそうです。
これらの支援物資は、デヴィ夫人のアース・エイド・ソサイエティとアミチエ・ソン・フロンティエールを通して船便で郵送することになりましたが、それでも到着に数週間かかってしまうとのことでした。
そんな中デヴィ夫人の、「少しでも早く(支援物資をウクライナの人達に)届けたい」
という思いから、お声がけいただき、手荷物として持っていけるだけの量を持って直接現地へ赴きました。
現地は北海道以上の寒さで、停電も頻繁に起こり、凍えている人が沢山いる、
とのことだったので、支援物資の大半は防寒具です。
日本ブランドの防寒着、カイロ、便座シート、懐中電灯などを中心に船便では上記に付け加え、ガスストーブ、止血剤、塗り薬などが積まれています。
今回のフライトは、エコノミークラスで移動しました。
急遽訪問となったためか、デヴィ夫人も同じエコノミークラスです。
ビジネスクラスが使えないと分かった時に、フライトを変更するか尋ねましたが、
夫人「いいのよ、エコノミーで。楽しく行きましょ」
とお答えいただきました。
フライトが遅延して、トルコへの12時間のフライトをエコノミーで移動し、
遅延のために飛行機の乗り継ぎが間に合わず、イスタンブールで数時間過ごすことになるなど、最初からトラブル続きです。
デヴィ夫人だけでもビジネスクラスを使えていたら快適だったかもしれませんが、全員エコノミークラスだったので、83歳の夫人にとってはかなりの負担だったかと思われます。
ウクライナ国境では車を使って陸路で入りましたが、
国境ではウクライナで停電があり、PCやインターネットが使えなくなり、4時間以上国境付近で待機するなどもあり、結局、目的地であるキーウへは、日本を出発してから50時間以上かかりました。
今回キーウへ向かうのに、オデッサ方面から600kmの道のりでしたが、軍隊による検問も多数あり、足止めを食らうことも沢山あり、車での移動も本当に時間がかかりました。
到着してからようやくホテルに泊まれましたが、その晩早速停電があり、警報のようなものが聞こえ、眠れなかった人もいました。
なお、警報に気づかずに眠れていた人も睡眠時間は5時間ほどで、次の日は朝8時から行動を始めました。
戦時中のキーウへ訪れることは危険なことは承知の上ですが、ある程度正しい情報を伝えないと間違った支援へ繋がってしまうので向かいました。
テレビなどで報道されている情報では、
といった印象を受けますが、首都のキーウでは然程そうでもありませんでした。
勿論、停電が頻繁に起こるなどはあり、戒厳令で夜中11時以降は出歩けない、などは有りましたが、日中は日常的な光景といった印象です。
キーウでも避難所などを回る予定がありましたが、
政府関連の方々や支援関連の方々、現地企業の方々などとのミーティングで大半の時間を使いました。
それぞれに今何が必要で、今後は何が必要になっていくのか。
今後戦争が長引いた場合、どんな物資を支援していくか。
戦争が終わった後復興するために、どんな事業をウクライナではやっていくのか。
開発のために日本のこのジャンルの企業が必要なので繋げてほしい。
など、様々な会議が行われ、ウクライナの政府機関、民間企業の依頼に、出来る限り応えていきたいと感じました。
民間人虐殺が起こったとされるブチャは、悲惨な状態でした。
街の広範囲に渡り、割れた窓ガラス、壊れた民家、壊れて放置された戦車などがありました。
病院では、怪我をした方々が入院、リハビリを行っていました。
また、ポリスドッグ(爆発物や薬物を見つけるための訓練がされていて、民間人を守るための組織)の兵舎へも訪問しました。
そのポリスドッグ兵舎真横の建物も、爆風でガラスが多く割れている状況でした。
壊れた家はまだ修復はされていませんが、建て直しを始めている民家も見受けられ、頑張って復興しようとしている様子が沢山見れました。
とにかく寒い状況で困っているとのことだったので、支援物資をお送りさせていただきました。
戦争が起きて自宅などが破壊された方々は、隣国のモルドバなどまで避難している方も沢山います。
今回、そのモルドバの避難民施設をデヴィ夫人支援団体メンバーとして訪問しました。
ここでは、世界中の支援団体から支援物資が届き、WEBサイトを使ってシステマチックに、避難民への支援を行っていました。
ただ食料を配る、毛布や防寒具を配る、というだけでなく、
パスポートや家族構成などの情報を元に、一人一人必要な分だけ支援していくというルールを決め、
日々必要とする避難民の方々がここへ来て、必要なものだけ(申請したり、許可が出たものだけ)を持っていくというような感じです。
多くの方は避難所生活に対し、
「難民キャンプのようなところに、凍えそうな寒さで、耐えかねる飢えと寒さに苦しんでいる」
といったイメージを持っているかもしれませんが、実際はそうでもない方が大半のような感じでした。
多くの避難民はホテルなどの施設に泊まり、今回のような支援所で支援物資を毎日必要な分だけ取りに来る、というスタイルのようです。
支援物資は世界中から届いた食料の他、生理用品やオムツ、洋服や靴など、生活する上で必要なものは全て揃っているという印象です。
今回私達が持ってきた支援物資は、避難民への支援物資としては数が少なすぎるのもあり、避難民ではなくここで働いているボランティアスタッフへお渡しすることになりました。
というのも、この施設は大量の食材があるためか劇的に寒くて、撮影しているスマホを持つ手が一瞬で凍り付きます。湿度も低いためか、北海道より少し寒いくらいの印象でした。
次回支援する際は、ここと連携して何が必要で何が必要でないかを確認した上で、継続した支援をしていく予定です。
モルドバにあるウクライナからの避難民の子どもたちの保育所へ訪問する前に
現地で大量のお菓子を現地調達いたしました。
訪問した保育所がある場所は、ウクライナから避難をしてきた家族の子どもたちへ教育やアクティビティなどを提供したり、
さまざまな避難民の支援に関するオフィスがある施設です。
こちらでは20名ほどの子供たちが順次、英語教育クラス、ルーマニア言語クラス、ウクライナ語クラスなどに分かれて、
学校へ通うことが出来なくなってしまった子供たちへ教育を行っているそうです。
現地調達した大量のお菓子に加え、子ども用の手袋なども支援させていただきました。
支援金を募集させていただきました。
今回はなんと150万円以上集まりました。
ご支援くださった皆様、ありがとうございました。
弊社で集めさせていただいた支援金は支援物資と輸送費の為に
デヴィ夫人のアース・エイド・ソサエティへ送金させていただき、残った支援金は現地で出来る限りの支援をする事に使いました。
輸送費だけで500万円以上したそうで、大半はアースエイドソサエティとアミチエ・ソン・フロンティエールの方で出していただきました。
ありがとうございました。
現地に足を運んで分かったことは、
支援する際、何が必要で何が必要ないのかを確認した上で、正しい支援をするという事です。
今後も現地の方と連絡を取って継続的な支援を行っていこうと思っています。
また、今回の支援の様子はデヴィ夫人のYoutubeチャンネルにも載っていますので、是非ご覧下さい。